2010年7月25日日曜日

テスト終わりについて

http://sinkyo088.blogspot.com/

次のアドレスに移行します。
そちらの方に入ってください。

2010年7月21日水曜日

講演内容 法則について

参考にほんの一部を掲載します。

法則について
 世の中には決められた法則があります。
法則は何故、決められているのでしょう。 また、どうして法則があるのでしょう。
これについて話させていただきます。
 世の中、自然にはある一定の法則があります。
例えば太陽が東から昇り、西に沈みます。
地球は自転しながら、太陽の周りを公転しています。
しかも、一年が365日、4年に一回うるう年があり、366日です。
一日が24時間のように決まっています。
このように、決まっているから、それに合わせて、生活をしています。
太陽が登り、明るい時に仕事をします。 
そして、夕日が沈むと睡眠を取ります。
その法則が一定のリズムだから、それに合わせて生活できるのです。
 それでは、法則は何故、決まっているのでしょう?
 私達の生活の秩序維持する為に決められています。
 処が私達の目で見える所はそれで良いです。
今、話した法則(太陽が東から昇り、西に沈みます。 地球は自転しながら、太陽の周りを公転しています。 一日が24時間のように決まっています。)は目で見える法則です。
 自然の法則の中に「目で見える法則」と「目で見えない法則」があります。
 これを一般的に形而下、形而上と言います。
(この言葉は哲学的な言葉で難しいと思います)
「目で見える所」の法則は憲法とか、法律、規則とか、各県や市町村で条例、規律とか私達が行動するのに規制があります、これが人為法です。
国に於いても、その国の体制と秩序を維持する為に、法が決められています。
これは、身、口といって、愚痴や暴言など、口で言う事、嫌がらせや暴力など身体で行動を起こす事などを規制します。
太陽が東から昇り、西に沈みます、或いは、地球は自転しながら、太陽の周りを公転し、また、地球が自転する一日の時間は24時間のように決まっています。
 これは自然の法則ですが、誰もが理解している法則を「目で見える法則」と言います。
目で見える法則は心で思った事は罰せられません。(身、口)
 「あいつが憎い、こん畜生」と思っても罰する事は出来ません。
また、「人を殴ってやろう、人のものを取ってやろう」と心で思っても、行動に顕さない限り、規制される事はありません。
以上の事では高度に、秩序が保たれません。

高度に秩序を保つ為に必要なのが、「目で見えない法則」です。
この目で見えない法則を教えるのが、宗教です。
「目で見えない法則」は心に思った事でも罰せられます。(身、口、意)
また、心で思った事が色々な形で表に出てき来る事もあります。
勿論、心で思っても、出て来ない事の方が多いです。

 各国の風俗、習慣、文化はそれぞれの宗教が本です。
 キリスト教国、イスラム教国、仏教国など。
 それは宗教が必要だからそのようになっていく。
 どんなに科学が進んでも、不思議な事はある。
 例えば幽霊などの話で昔は終わったが、今ではカメラやビデオに映り込んだりする。
 世の中の法則だからそんな不思議な事がある。
 それには「必ず原因がありますよ」と云うこと。
 その原因をお尋ねする事が出来なければ、「そんな事があった」で通り過ぎて行く。
 そういった法則がある事を知っているのと知らないのとでは大きな差が出てくる。
 知っていれば生活する上でプラスになる。
 形而下的な規まりだけを守れば良いと云うわけではない。
 高度に秩序は維持できない。
 形而上・形而下の両面を守ってこそ、秩序は高度に維持ができる。
 人が見ていなければ盗んでも良いというわけではない。
 しかし、人為法では人が見ていなかったり、盗んでもみつからなければ罰する事は出来ない。
 形而上の法は人が見ていなくても、盗んだ証拠がなくても、罰せられます。

つづく

2010年7月19日月曜日

協力を有難うございます





7月19日(月曜日)の盆供養会が中部・京都・関西の合同供養会が行なわれました。
昼休みにボランテァをしている方から、絵葉書の協力をして欲しいとの事でみんな協力をしていたようです。本人に代わって、お礼を言います。
私が私が頂いた絵葉書の掲載します。

2010年7月13日火曜日

体験談 3

必要な服(下着)が広告にあり、ちょうど良いと思ったので、主人にこれを買って良いかと尋ねた。
主人は「良いよ」と答えた。
早速、注文をしようとFAXを送る為に、事務所に行った。
FAXが引っかかり、中々送れないので、神様から「買う事を止めよ」と言う事だと思って、買う事を中止した。
主人には「買う事を止めろ」と云う事だったと説明した。
主人は「そういうふうに取るのか」と行ったと云う。
後日、買い物の為にデパートへ行ったら、買いたい服(下着)が半額で売っていた。
おまけに試着できると云う事で、試着して一番良いものを買った。

今日(平成22年7月14日)は学修会に、早く行こうと思って用意していた。
(いつも朝、九時までに道場に着く)
そしたら、東京の方から、朝、早く電話があり、ゆっくりと話せたという。
いつもだったら、時間がないので、「ゆっくり話す暇がなっかた」と言っていました。
良かったと本人は喜んでいました。
「惟わされた」のでしょう。

2010年7月12日月曜日

無財の七施  無財七施 (中文翻訳)

最初の「盡善の行 テスト」にあるsinkyotwさんのコメントについて「無財の七施」の事だと思います。
これは旧仏教にある事を云っていると想います。

(在開始的「盡善之行 的測試」部落格裡, sinkyotw 所投稿的「無財七施」是在談舊佛教的經文的意思)


布施の行には財施、法施、無畏施と云うのがありますが、財施のように財力がない人は布施の行が出来ないかと云うとそうではないと言う事です。

(佈施之行有 財施, 法施, 無畏施 但, 財施的話, 無財的人就無法佈施了嗎? 不是的.)

盡善の行の中のテスト5について、財力のない人は「掛け声だけでも良いです、みんなと協力して云々」と言っている事を詳しく、無財の七施で言っています。
ようは財力がなくても、布施の行はできると言う事です。

(「盡善之行」的測試第5 有一段. 無財力的人, 「只要出聲支持, 加油打氣」就好, 和\大家一起協力…等等」 重點是 雖然無財力, 也能做佈施之行的意思.)


旧仏教の云う「無財の七施」とは

(舊佛教所說的「無財七施」是;)

眼 施(がんせ)慈眼施ともいい、慈しみを持ち、優しいまなざし、温かい心で、人に接っして
        いきます。

( 眼施 也叫做, 慈眼施, 就是要用 慈悲慈愛的眼光, 溫柔優雅的心來對待別人的意思.)

和顔施(わがんせ)和顔悦色施ともいいます。
        なごやかで穏やかな顔つきで人や物に接っしていく事です。
        いつも嬉しさや喜びの表情が顔に出るようにしましょう。
        人に不快な気持ちを与える表情は止めましょう。

(和顏施 也叫做 和顏悅色施, 以溫和的臉色待人接物的意思
    我們隨時都保持喜悅而穩重溫暖的表情才好.
不要有讓別人討厭不愉快的外表好嗎? )


愛語施(あいごせ)言辞施ともいい、優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行いです。
        毎朝、散歩して、人と出会った時などは挨拶するのも、大切な事です。

(愛語施 也叫做 言詞施, 說話時用優雅, 有關愛的態度來說.
       例如, 每天早上在散步或慢跑時, 碰到人就打招呼, 也很重要的.)


身 施(しんせ)捨身施ともいい、自分の身体で奉仕をすること。
        労力(労働奉仕)など自分の身体で社会や他の為に尽くす事です。

(身施 也叫做捨身施 以自己的身體來侍奉的意思)

心 施(しんせ)心慮施ともいい、社会や人の為に心をくばり、共に喜びや悲しみ、心の痛みや
        苦しみが我が事のように感じられる気持ちになる事だと思います。

(心施 也叫做心慮施 為社會, 為別人多來關心,能一起歡樂一起悲傷, 能體諒他人的心情, 讓對方能
        感受到與他們同甘苦的心境的意思的樣子.)


牀座施(しょうざせ)自分が席を譲る行為。
        電車など自分が疲れていても、困った人やお年寄りには席を譲ってあげましょう。
        
席だけではなく、道をゆずって他人を先に行かせることもあります。
        譲歩する気持ちも必要な時があります。

(床座施 讓座位的意思
     如在汽車, 火車等讓座位給別人的意思, 如有老人, 身體有不順有困難的人, 我們來讓座位吧.
     不只是座位, 讓路也很重要的, 有時候也需要有讓路, 讓對方先走較好的.)



房舎施(ぼうしゃせ)困っている旅人に一夜の宿や休息の場を提供することです。
        即ち、風や雨や夜露をしのぐ所を与えることです。
        思いやりの心がなければ出来ないものです。

(房舍施 意思是外地來的旅客有困難的時候, 給予一夜的住宿, 或提共暫時的休息等.
     也就是說, 風雨天免露宿於外面, 提共場地休息的意思,
如無善良的心是做不到的.)

       
ただ、今の世は困っている人やヒッチハイカーを車に乗せ、反対に殺人や強盗に遭う行為があるので、うかつに善意が行なえない状況下にある事は問題である。
しかし、「無財の七施」のような気持ちを持つ事が必要である。
世の中、社会が疲弊しているのは人間の心が疲弊しているのでしょう。

(惟因, 最近很多給予困苦的人借住, 或免費搭乘車子的人, 反而被搶被殺的情事發生,
 不能隨便就行善的情況, 是非常麻煩的問體. 但, 每個人必要有像
 「無財七施」的精神很重要.
 世間, 社會的敗壞, 世風的日下是人心敗壞而引起的樣子. )

2010年7月10日土曜日

体験談 2

「おもわさせられる」 テスト7
お墓参りに毎月行っているので、「お墓参りに行こう」と思いました。
所が自分のやる事があるので、後回しにしました。
その時に滅多と来ない親戚の人がお墓参りに来ました。
そうすると花は枯れているし、墓に虫が沢山いたそうです。
それを親戚へ立ち寄って、「何という事か! 虫はいるし…」と言ったそうで、言われた親戚は早速、自分の家に話しに来ました。
その時「しまった」と思ったそうです。
あくる日にお墓参りへ行って綺麗にしたそうです。(思わされて2日後でした)
思わされていた事の失敗談で話した。

それが別の人はお墓参りを思わされたので、直ぐにお墓参りをした。
そしたら、その時、親戚の人がお墓に参いりに来て、「いつも綺麗にして貰って、有難うございます」とお礼を言って喜んだと言う。

自分が思うからと言って、何でも行動したのではいけません。
しかし、良く日頃から私達は思わされたり、見させられたり、聞かされたり、行動させられたりなどします。
自分が他の事をしようとしたり、また、していたりする時に、「面倒だなぁ」と思う事を思わされたりします。
そういう時に直ぐに実行をしないで、「後ですれば良い」と思っていると忘れたり、失敗してりする事があります。(状況にもよりますが…)
要は日頃の他愛もない体験が役立ったり、自分が資格を作ろうとする心掛けを持つと考える事や思う事が違ってきます。
お伺いも神仏にお尋ねしてみようと考えるようになり実行にうつします。
要は指でお尋ねするのも「ご神示」、思わされたり、見させられたり、聞かされたり、行動させられたりなどするのも「ご神示」です。

まず、良い様にさせられる人間になる事です。
良いようにさせられる人間になる為には自分を日々磨いていきましょう。

2010年7月8日木曜日

盡善の行 テスト6

テスト6
盡善の行は私達が神仏に誓いを立てて、祈願する事です。
即ち、神仏に約束をします。
[盡善の行]は四項目です。
一、社会を啓蒙し、社会の済化、済世に最善を盡す。
一、大自然の法則を学び、身に付けて、後世に正しく伝える事に最善を盡す。
一、一人ひとりが社会人として自立し、責任を持ち、和合し、社会に貢献する事に最善を盡す。
一、教えの実践を通して、社会との繋がりを強くし、相互研鑚、相互扶助に最善を盡す。

四番目は
一、教えの実践を通して、社会との繋がりを強くし、相互研鑚、相互扶助に最善を盡す。
   相互研鑽(そうごけんさん)…互いに学問などを深くきわめること。互いに研究。
    相互扶助(そうごふじょ)…互いに助け合うこと。互助。互いに力をそえること。
             互いに自発的に助け合うこと。
  教えを実践して、社会との繋がりを強くし、教えを互いに研究して、深く学び、お互いに助け合う事に最善を尽くします。
  教えられた事を実行し、優しいに人間になり、社会に協力する事で繋がりが出来たりします。
  いつでもどこでも、さとろうとする心掛けを持てば、誰の言われる事でも、さとりのヒントになります。(仏教で云う覚りとは違います)
  さとりと云う言葉はぎょうぎょうしいので、早く言えば自分の足らない事や多すぎる事に気付いたり、他の悪い事に気付たりします。
  気付いた悪い所を直そうとしたり、理解したり、実行する事だと思います。
  例えば自分を磨く事に重きを置けば、愚痴を言ったり、人を傷つけたりはしていないか、ちょっとでしゃばりすぎてはいないか、意地を張った所はないかなど沢山あります。
相互研鑽するには、自分が勉強しようとする意欲だと思います。
お互いが勉強し合う事も大事です。
  そして、相手の弱い所に手を添え、支えていきます。(心と外見です)
そのようにして、お互いが助け合う事、協力し合う事が大事です。

2010年7月7日水曜日

盡善の行 (テスト5)

テスト5
盡善の行は私達が神仏に誓いを立てて、祈願する事です。
即ち、神仏に約束をします。
[盡善の行]は四項目です。
一、社会を啓蒙し、社会の済化、済世に最善を盡す。
一、大自然の法則を学び、身に付けて、後世に正しく伝える事に最善を盡す。
一、一人ひとりが社会人として自立し、責任を持ち、和合し、社会に貢献する事に最善を盡す。
一、教えの実践を通して、社会との繋がりを強くし、相互研鑚、相互扶助に最善を盡す。

三番目の
一、一人ひとりが社会人として自立し、責任を持ち、和合し、社会に貢献する事に最善を盡す。
社会貢献には沢山ある…慈善事業(福祉など)、文化教育部門、医療部門、
自然災害部門、環境部門など
一人一人が自立し、責任を持って、社会のみんなと手を取り合って、世の為、人の為、
社会に貢献していく事に最善を尽くします。
自立する事が大事ですが、どこまでを自立と考えるかが問題です。
  無理をしなくても、自分で出来る範囲で行ないます。
  自分1人では無理な場合など、人と組んで、また、組織で協力をします。
人それぞれに労力(体力)、財力(経済力)、智力など人によって能力、力量は違います。
その違う能力を出し合って、自分の出来る範囲で協力をします。
中には、何も出来なくて掛け声だけの人もいましょう。
それでも参加されれば良い事です。
その力を出し合って自分が出来る範囲で社会貢献をしていきます。
  みんなで行なう場合は和合も必要になってきます。
  和が図れない人はご意趣を神仏から教えていただきます。
  また、みんなの言われる事でヒントを得ましょう。

盡善の行 テスト4

テスト4
盡善の行は私達が神仏に誓いを立てて、祈願する事です。
即ち、神仏に約束をします。
[盡善の行]は四項目です。
一、社会を啓蒙し、社会の済化、済世に最善を盡す。
一、大自然の法則を学び、身に付けて、後世に正しく伝える事に最善を盡す。
一、一人ひとりが社会人として自立し、責任を持ち、和合し、社会に貢献する事に最善を盡す。
一、教えの実践を通して、社会との繋がりを強くし、相互研鑚、相互扶助に最善を盡す。

二番目の
一、大自然の法則を学び、身に付けて、後世に正しく伝える事に最善を盡す。
    身に付ける…教えを身に付ける事である。
          教えを身に付ける事が人間形成を為す事である。
 教えを学ぶ事で、それを社会で実践していきます。
 愚痴を言う人は愚痴が少なくなるように、短気な人は短気が出ないように、色んな事で第三者に迷惑がかからないように努力して行きます。
 他人(ひと)に優しく、思いやりの心を持って接していけば、人間形成を為す事に精進していけます。
 後世に正しく教えを伝える為には、習った事を実践し、子供達や多くの人にも教えていきます。
 細かい法則は沢山ありますので、神仏は私達を善導する為にお知らせをかけられます。
 その知らせには必ず、神仏のご意趣があります。
 そのご意趣を学んで日々日常に役立てて行きます。

2010年7月6日火曜日

体験談(テスト)

テスト3
息子さんだけの卒業証書が見あたらなく、どこを探しても見つけさせてもらえなかった。
どういう事を「さとれ」ば良いかと考えたら「そ、わ、か」と言う言葉が思い出された。
「そ、わ、か」は般若心経に出てくる言葉のようで、「そ」は掃除、「わ」笑い、「か」感謝と言う言葉が出てきた。
掃除は「心の掃除」をしないといけない、笑いも必要である、何事も感謝が必要と言う事がわかった。
その晩に、卒業証書を、紙袋からから取り出す夢を見た。
朝、起きてもう一度、椅子の間を見たら、そこに落ちていた。
そこは見たはずなのに、その時は見つけさせてもらえなかった。


病院で骨粗しょう症の検査をした。その時、医者から「貴方の年にしては立派な骨です」と褒められた。
車に一緒に乗ったおばさんに、医者が言った事を話した。
そしたらおばさんは「親に感謝しなければいけないね」と言った。
「私は気を付けているから、そんな事はない!」と言って、突っぱねた。
そしたら、直ぐに、足の甲のじん帯を切った。
「しまった」と思ったそうです。
相当、痛かったと言う。
こういった失敗があると話していました。

2010年7月5日月曜日

盡善の行について

テスト 2
盡善の行は私達が神仏に誓いを立てて、祈願する事です。
即ち、神仏に約束をします。
[盡善の行]は四項目です。
一、社会を啓蒙し、社会の済化、済世に最善を盡す。
一、大自然の法則を学び、身に付けて、後世に正しく伝える事に最善を盡す。
一、一人ひとりが社会人として自立し、責任を持ち、和合し、社会に貢献する事に最善を盡す。
一、教えの実践を通して、社会との繋がりを強くし、相互研鑚、相互扶助に最善を盡す。

これを一つ一つわかりやすく説明します。
一、社会を啓蒙し、社会の済化、済世に最善を盡す。
   啓蒙(けいもう)…「啓」はひらく、「蒙」はくらい意。
            即ち、無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと。
     蒙昧(もうまい)…知識が開けず、物事の道理に昧(くら)いこと。
     啓発(けいはつ)…知識をひらきおこし、理解を深めること。
     済世(さいせ)…世の弊害を除き人民を救い助けること。
     済化(さいか)…たすけ化する。 民を救い、善に導く。
  社会全体が世の中の法則(法則に適った物事の道理)が理解でき、形而上・形而下の知識を身に付けて、物事の理解が深められるように、弘く世に教えを知らしめ、広めていき、多くの人々を救わせてもらい、善行をするように導いていく事に努力します。
  これは菩薩行です。
  社会を啓蒙する為には、まず自分が世の中の法則に添って、優しい人間になり、他人の事が考えられるよ うな人間になって行きましょう。
  そういった事を通して、色んな体験をしていきます。
  体験は他愛もない些細な事がイザと言う時に、貴重な体験になってきます。
  その為には心掛けも関係してきます。
  そういう体験が大事であると感じます。

テスト 2
まずは「一」のみです。
皆さんはコメントを書き込んで見てください。